プロフィール
改めまして、当サイトを運営している行政書士の金城勇です。
ここでは私の自己紹介をさせて頂きます。
少々長くなりますが、興味のない方は飛ばして下さい(笑)
- 生年月日:昭和49年1月19日
- 最終学歴:沖縄職業能力開発短期大学校 物流情報科 卒業
- 職歴:某遊技場会社(パチンコ店)を24年勤務し、2019年行政書士事務所開業
- 所有資格:行政書士、上級相続診断士、日本不動産仲裁機構ADRセンター調停人候補者
- 趣味:楽器演奏(ギター・三線)、音楽・ライブ鑑賞など
沖縄市とうるま市で育ち、パチンコ店に就職
沖縄市園田に生を受け、8歳(小学3年生)の頃現在のうるま市(旧:具志川市)に引っ越しました。
その後高江洲中学校、具志川高校、沖縄職業能力開発短期大学校を卒業し、パチンコ業の会社に就職。
就職して最初の勤務先は愛知県で、豊田市、田原町、岡崎市、小牧市を渡り歩くこと7年。その後埼玉県に転勤し、狭山市で2年。計9年が経過したころ腰痛に見舞われ沖縄の店舗へ出戻ることになりました。
行政書士との出会い
パチンコを遊ばれる方はよくご存知かと思いますが、パチンコ店には『新台入替』というイベントがあります。風適法の傘下にあるパチンコ店は店内の設備等を変更する場合、必ず警察署の公安委員会へ「変更承認申請書」または「変更届出書」の申請義務があり、新台入替の際にも必ずこれらの書類を作成する必要がありました。沖縄のパチンコ店はだいたいが月2回のペースで新台入替を行うのですが、そのたびに行政書士の先生へ書類作成を頼んでおりましたので、毎月10万円前後の出費が伴っていたことになります。そしてまさにこれが、私が行政書士という職業を知り、また目指してみたいと思うきっかけになったことだったのです。
「毎月こんなに出費が重なるのであれば、全店の書類作成を担う部署を社内に置いて、そこで一括して作成・管理した方がいいんじゃないのか?そのために行政書士の資格が必要であるのなら俺が取ってやる!」
あとで知ることになりますが、べつに行政書士の資格が無くとも書類を作成することは問題ありませんでした。ただ当社は昔からの流れでお付き合いのある行政書士の先生にお願いしていただけのことだったようで、ここ数年は経費削減のために各店舗で書類作成を行うこととなり、次第に行政書士先生とのお付き合いもほとんどなくなってきておりました。それに伴い私が抱いていた「行政書士の資格を俺が取ってやる!」という意思もここで一旦途切れることとなります。
行政書士の夢、再燃
とくに人生の大きな目標もなく、ただ忙しく過ぎてゆく毎日をなんとなく生きていたのですが、同社で20年を経過した頃になると「本当に俺がやりたい仕事ってこれなんだろうか」という気持ちがだんだんと芽生えてくるようになりました。もともとパチンコやスロットはほとんどやらず、新台や話題の機種が登場すると勉強のために遊ぶ程度であったため、いまいち集中して仕事に取り組むことができなかったのも事実です。今考えてみると私のことを期待して昇進を推してくれたり、真剣に叱咤激励してくれた上司に大変失礼だったなと思ってます。
そんななか、プライベートでは当時70歳台後半の父が認知症で寝たきりの状態が続いておりました。普段からずぼらな性格であった父のことでしたから、当然遺言書は作成しているはずもなく、既に意思表示も全くできない状態であったため、相続問題に直面することは火を見るよりも明らかだと考えた私は、ここで相続法について勉強を始めることになります。
「そうか、遺言書が無い場合は遺産分割協議書という書類を作らなければならないのか。でもどうやって作るの?誰が作るの?」
そこで改めて行政書士という職業に出会うことになります。
「行政書士ってこんなに幅広い仕事をするんだ!面白い!俺が本当にやりたい仕事ってこれなんじゃないのか?一生をかける価値のある仕事はこれなんじゃないのか?」
そう思った私は次の日には某通信教育の教材を申し込んでいました。
法律知識ゼロからのスタート
『半年で合格レベルへ!』『働きながら一年で合格!』
そのような謳い文句が躍っていたその通信教育会社。私が申し込んだのは2月で、本試験の11月までは十分な準備期間があり、
「こんだけ時間がありゃ、全然余裕でしょ(笑)」
という何の根拠もない自信を持ちながら教材が到着するのを待ちます。
そして数日後、教材が届き意気揚々と学習を開始したのですが、
「??? は? 何これ!? 全く意味がわからないんだけどッ!」
甘く見すぎていました。全くもって意味がわかりません。
その通信教育会社の教材は基本的にテキストのみであり、映像解説は数分程度のネット配信が数コマ。法律無学の私にとっては用語の意味さえも理解できず、挫折するのも時間の問題でした。
案の定、その後何度も勉強を開始しては途中で辞めるということを繰り返し、時間だけがいたずらに過ぎていく毎日。気づいたときは試験の2ヵ月前で、そこから毎日学習を続けるも、当然その程度の付け焼き刃の知識で受かるはずもなく、1年目の試験は惨敗。記述式の採点さえされないひどい点数の足切り不合格でした。
2年目の挑戦。そして父の他界
1年目の試験に惨敗するも、試験前の一か月は急に理解度が増したように感じられ、やっとこの試験の全体像を掴みかけた状態でした。その頃から少しづつ法律の面白さを実感しつつあった私はすぐさま2年目の試験に向けて学習を再開させます。
この頃は父の認知症も末期にあり、私のこともあまり認識出来ない状況でした。しかしながら父が生きている間に、「認識出来ようが出来まいが必ず合格の報告をするんだ」という気持ちで試験に取り組むことを決意。仕事中も休憩時間には必ずテキストを読み、帰りには近くのファーストフード店で学習するといった毎日を続け、ある程度の自信をもった状態で2年目の試験に挑みました。11月12日のことでした。
それから6日後の11月18日、父が他界。
合格発表日は翌年の1月末であったため、結局生きている間に結果報告をすることは叶いませんでした。
この父の他界をきっかけに、翌年の合格発表日まで時間が空いたこともあり、この頃から相続の民間資格である『上級相続診断士』の勉強を開始します。
そして行政書士試験の合格発表日。ドキドキしながら結果を待つも、結果は
不合格
選択問題で150点以上得点していましたが、記述式の得点が全く伸びず、合格ラインの180点へ数点届きませんでした。
この年の合格率は15%を超えており、近年稀にみる合格率の高い年でした。にも関わらず合格出来なかったということは、やはり実力が全く足りていなかったんだということを改めて実感させられました。
そして父の遺影に、不合格であったことと3年目に向けて再挑戦することを報告したのです。
3年目の決意。そして人生の転換期
父の死をきっかけに学習を開始した民間資格の『上級相続診断士』。行政書士試験で親族・相続法を学習済みでしたので、約3ヵ月の学習期間で合格することが出来ました。さらにこの資格をもとに『不動産ADR調停人候補者』の資格も取得。まだこの頃はパチンコ店の会社員だったのですが、将来は相続の方面に進んで行くんだというはっきりとした目標を見据えていた時期でもあります。
既に3年目の行政書士試験に向けて学習を開始していた3月。そこで別の店舗へ転勤が決まりました。その後転勤して1ヵ月を経過したのですが、3年目の試験に向けてもう一時の時間も無駄にしたくないという思いが次第に強くなり、重要な仕事が割り振られる前に会社を去るべきだと思い始めます。そしてこれが24年間勤めてきた会社を退職する決意をした瞬間でした。
会社の方からは別の部署への移動等も検討するよう勧められましたが、決意は揺るがず6月に退職。
そして退路を完全に断った状態で試験に臨むことになったのです。もう言い訳は効きません。
そして3年目の受験当日。学習中はストレスで髪の毛が抜けるという体験をしながらも、十分な準備のもと試験に挑み、晴れて合格を勝ち取ることが出来ました。
法律無学の状態から学習を開始したパチンコ店の店員が、3年かけてやっと行政書士試験に受かることができたのです。
そしてこれから
行政書士試験を学習するなかで、父の他界を経験し遺言書の重要性を認識するとともに、沖縄が抱える相続の難しい問題(軍用地の承継、トートーメー、その他沖縄独特の相続問題等)に直面することとなりました。そしてこのような問題は私たち家族だけではなく、今後多くの家庭にも当てはまることであると思われます。私が経験してきたことや知識をお伝えすることで、少しでも皆様のお役に立てるならばこれ以上の喜びはありません。まだまだ知識や経験も未熟な私ですが、依頼者に心から寄り添い、一緒に問題解決に取り組んでいきたいと思っております。
節税に詳しい税理士の先生はたくさんいらっしゃいます。
相続登記に詳しい司法書士の先生もたくさんいらっしゃいます。
でもどうすれば相続で揉めないかを相談できる先生はあまりいらっしゃません。
相続で悩んだときはまずは私にご相談ください。解決の糸口を一緒に掴んでいきましょう!